購入したのはかなり前ですが、最近やっと一冊の本を読み終えました。
その本とは『おもしろいのゲームデザイン(邦題)』です。
著者はラフ・コスターという人で、ウルティマとかのゲームデザインをした方だそうです。
翻訳の関係なのか、本の内容はかなり難しいというか、回りくどいという感じの書き方になっていて、読むのに苦労しましたが、ゲームやその設計に関する分析として、ためになる部分が非常に多かったので、その内容を噛み砕いて抽出したものをメモの意味も含めて残しておこうと思いこれを書くことにします。
これがゲームデザインに携わる方々の役に立てば幸いです。
【注意】
コメ印のついたカッコ(※)内では、要約している内容への私的見解などを書いています。
≪1、なぜこの本を書いたのか?≫
世の中にゲームというものはアナログからデジタルまで広く存在しているが、面白いものとつまらないもの、すぐに飽きるものと長く親しまれているものがある、その違いはどこにあるのだろうか?
≪2、脳はいかにして働くか?≫
人の脳は顔の認識から音楽の流れなど様々な物事にパターンを見つけ出して記憶しています。脳は見たもの、聞いたものにパターンを見つけ出すと、それを繰り返し行ううちに必要の無い部分を捨て、簡素化したものを記憶します。
パターンが見つけられないといやな気分になり辞めてしまうこともありますが、一度パターンを見つけ出すと、そのパターンを進んで再現をしようとする傾向もあるようです。
(※はじめは抵抗のあった音楽にも、繰り返し聞いてるうちに好きになっていたり、抵抗感がなくなって行くことなどにその傾向が見られますね。)
≪3、ゲームとは何か?≫
ゲームとはパターンを習得する学習パズルです。
パターンを習得するまでは遊び続け、習得してしまえばつまらないものになります。
ゲームとは普通どんなものでも楽しみながら学べる要素を持っているのです。
楽しいはずのゲームがつまらなくなる要素をいくつかまとめると以下のようなものです。
・最初の5分でゲームの持つパターンを理解してしまう。=『簡単すぎる』
・プレイヤーが求める楽しさの方向性でない。=『遊びたいのはそこじゃない』
・パターンを見つけ出すことが出来ない。=『難しすぎる』
・パターンの変化がないか緩やかすぎる。=『最初の部分が簡単で、くどい』
・パターンの変化が急速すぎる。=『展開が早すぎてついていけない』
(※二つ目が少し解りにくいですが、本の例題では『野球は確かに奥深いけど、過去20年の打点を覚えるのは僕には役に立たないよ』となっています。)
それゆえに、良いゲームとは、プレイヤーがやめようとする前に、与えるべきものをすべて教えられるゲームと定義できます。
ゲームとは何か、つまりは先生(教える人)です。
プレイヤーを楽しく学習させているゲームは非常に優れた教師なのです。
≪4、ゲームが何を教えてくれるのか?≫
どんな動物でも、若いときは遊ぶことが好きです。
歳をとるにつれて、いくつかのゲームは真剣なものに変わっていきます。
(※じゃれる行為は狩りとなり、将棋やチェスは戦争の戦略へと変化しますね。)
つまり遊びとは生きるために必要な技術を学ぶことに密接に関係しているわけです。
しかしゲームが教えてくれることは、個々にはどれもわずかなことです。
そしてそれは本来生存本能に根ざしたものなのですが、人のそれは原始人の時代のもので、少々時代遅れです。
そんな中でも近代的な生活に相応しい、組織の構築や鉄道、水道を作り上げていくようなゲームも発展しています。人間の進歩と同時にゲームも進歩しているわけです。
しかし、それでもゲームは本能を起点とした少数の課題に絞り込んでバリエーションを作ることで進化としてきました。(※バリエーションとはタイムアタック、スクロール、3次元空間などです)
それほど本能が惹きつける力というのは強いのでしょう。
(※この後、本ではゲームを作る際に過去のゲームの一要素を変更・追加するという変化方法について、もっと画期的なものを生み出せないのか?という疑問を投げかけています。)
≪5、何がゲームではないのか?≫
ゲームではプレイヤーに教えようとしているパターンの見た目を飾り立てる傾向があります。
それは設定や物語といったもので、数学の文章問題に似ています。
文章問題には文章の中から問題を見つけ出す訓練と、現実に出くわす可能性がある状況の理解という目的があります。
これはゲームの場合、土台となる学習パターン以外の要素を無視する訓練になっています。
プレイヤーがゲームでの残虐表現などを、現実と切り離して考えられるのはこのためです。
ゲームにおける物語は、重要なものではあっても物語がゲームではありません。
美や歓喜に関しても人は楽しみを感じますが、パターンを習得したときに脳が感じるものとは別のものです。
ゲームによって得られる「おもしろさ」とは、抑圧のかからない状況で学ぶことで得られるもので、それ以外で楽しさを得られるものはゲームではないと定義できます。
≪6、おもしろさが人によって違うのはなぜか?≫
人間には様々なタイプがあります。学習の方法や姿勢も人によって様々です。性別やホルモンバランスによって得手不得手や立ち振る舞いなど様々な差異が出てくることも研究によって証明されつつあるようです。
プレイヤーはこれら生まれ持った特性によって惹きつけられるゲーム(既に得意と認識しているもの)を好むようです。
しかし、自分たちの潜在能力を最大限に引き出すためには、不慣れで未修得のものこそ遊ぶべきであるといえるでしょう。
(※プレイヤーがそれを望むかどうかは別の話です。今現在そういった需要はなさそうです)
≪7、何が学習にとって問題となるか?≫
目標がわかっている時、人は喜んで「ずる」をする傾向にあります。
これはしばしば「悪知恵」と呼ばれ、生きるためには自然なことです。
しかし、これは時にゲームが与えようとしている学習を迂回することに繋がってしまいます。
また、人間は安全で楽な方法を求めます。
そうすれば勝ちやすくなるといった理由で「弱者狩り」といった行動を引き起こします。
そして正当な報酬が与えられないとやめてしまいます。
学習体験をさせるためには以下の要素が必要でしょう。
・変動するフィードバックを用意する。=優れた行動にはより良い報酬を与える。
・習熟度の問題に対処する。=弱者狩りではほとんど報酬を得られないようにする。
(※初心者が何をやっても先行する熟練者の地位に追いつけないことが習熟度の問題)
・失敗したら損失を払わせる。=損失によって失敗を認識させ、次回への準備を促す。
(※チェスの一手を戻せないといった事もこれに当てはまる)
プレイヤー以外の問題としては、近年のゲームデザイナーはしばしば1つのゲームに異なる種類の挑戦を大量に詰め込んでしまいがちです。
デザイナーへの教訓は至極簡単です。
つまらなくなり、自動化され、ずるをされ、貪り食われるのがゲームの宿命なのです。
デザイナーは自分のゲームの主題であり、中核であり命でもある唯一のものを間違いなく教えられるようにすることがただ一つの責務です。
その授業に貢献しない仕組みはそのゲーム内にあるべきではありません。
――とここまで本の半分ちょいくらいをまとめてみました。
それでもこの前半部分から学び取れることはとても多いと思います。
これはあくまで著者のラフ・コスター氏のゲーム論なのですが、専門学校ですらろくに教えてくれなかったゲームデザインというものに対して、私は非常にためになる勉強をさせてもらったなと感じました。
本ではこの後14章までありますが、これ以降の内容は少々哲学的な内容が多くなり、自分の中で理解してまとめられるか自身がありません。
気になる方は是非この本を購入してみてください。
この記事でまとめた項目の中でももっとたくさんの例題や考察が書かれています。
この本の後半部分が理解できるか、他によい本があれば、また記事にしたいと思います。
ここまでおつきあいいただいた方ありがとうございます。では、また。
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